株式会社 谷弥
【礼節】2014年 http://www.taniya.co.jp
【格好良く】2014年 博多21の会は、30周年を迎え新たなスローガン「世界とともに、たくましく」をかかげました。そのスローガンをシンボル化したものがこのマークです。 博多は、古くから大陸文化の交流の玄関口として博多湾は重要な役割を担ってきました。西方に広がる糸島半島から志賀島まで、博多湾の形が羽を広げた鶴に見えることから、古来より「舞鶴」の呼び名もあり、筑前福岡藩を納めた黒田家の居城、福岡城は別名「舞鶴城」とも呼ばれます。俯瞰した広域で見ると、玄界灘や博多は、鶴が羽を広げ、志賀島にかけては、鶴の頭にも見えます。鶴は、古来より「鶴は千年」といわれ「長寿を象徴する吉祥の鳥」として、また、夫婦仲が大変良く一生を連れ添うことから「夫婦鶴=めおとづる」といわれて「仲良きことの象徴」の鳥として、鳴き声が共鳴して遠方まで届くことから「天に届く=天上界に通ずる鳥」といわれるなど、民衆の間に「めでたい鳥」として尊ばれてきました。 世界と鶴をひとつにしたマークには、世界に向けて鶴=博多21の会員が大きな羽を広げ飛び立つ意味と日本人の心で世界を包み込む平和への願いが込められています。「世界とともに、たくましく」とは、本来の日本人の心をもって世界の人とコミニュケーションすることとも言えます。
【庶民】2014年 木島さんは、福岡の料亭「やま中」にて19年間修行された後、晴れて独立し、「鮨 木島」をオープンされました。内装はCASEの一ノ瀬さん。同郷の嬉野出身なのでかなり気合いが入ったプロジェクトとなり、王道の一歩先に進んだことをしましょうといことになりました。 木島さんご本人が、店名を「鮨 木島」か「鮨 英太朗」のどちらにされるか迷っていらっしゃいました。イメージがある状況で判断ができるように、書家の西本先生にお願いして両方の店名を書いてもらったのですが、西本先生いわく「50歳になって英太朗はないでしょう。」ということで、将来のことも見据えて店名を「鮨 木島」に決定しました。店名の書は、木島さんの人柄とお店のコンセプトだけ伝え、先生自由に書いていただきたいとお願いしました。ただし、修業先であった「やま中」のロゴが素晴らしく、博多の西島先生を少し継承してほしいともリクエストをしています。その結果、木島の「島」の文字の中にある山のカタチに、やま中のロゴの雰囲気を残した書となっています。「この書なら天皇陛下が来ても恥ずかしくない。」と先生からお墨付きをいただきました。
【お洒落】2014年 博多水引の長澤宏美さんとの出会いは、博多山笠カレンダーの写真家でもある八田さんからのご紹介でした。彼女の水引の展覧で、ワインボトルに水引を掛けた「さま」がとても印象的で、水引の新しい可能性を感じたのを覚えています。 長澤さんからデザインのリクエストは、博多水引のロゴと箱とショップカードとリーフレットでした。コンセプトは「博多の粋」。基本の鮑結びをモチーフに、博多のHにも見えるようなフォルムを考案し、赤と紺色で粋な印象を強調しました。水引を入れる張り箱は、紺色にロゴを銀箔押しすることで、紳士的な印象に仕立てました。
【愛情】2014年 九州最古の茶商、矢部屋許斐(このみ)本家は、江戸宝永年間に、北矢部出身の許斐甚四郎が、筑後国上妻郡福島市中に木材・楮・茸・茶等を扱う山産物商「矢部屋」を興したのが始まりです。 幕末になると、現在の場所 (八女市)へ移り、茶に特化した 専門問屋を開きます。以降、茶の特徴を生かして技術改良に心血を注ぎ、明治時代には初代久吉が良質の茶を見出し、「八女茶」の名を付けました。その後「八女茶」は、コクと甘味に優れた日本有数の高級茶として名声を博しています。 矢部屋許斐本家は現在、十四世六代目許斐久吉に受け継がれています。 許斐園の経営資源である明治・大正・昭和初期のラベルデザインは、ヘリテージデザインと位置づけることができ、パッケージデザインにおいても、その伝統を付加価値として事業を展開できることを念頭におきました。 「八女茶 許斐久吉六代目シリーズ」は、許斐園が保有する伝統的なデザインの要素をモチーフに、モダンに仕上げた統一デザインを採用することによって、企業イメージを消費者に再認識してもらい、自社のブランド化を向上させていくことを目的としています。 パッケージデザインは、福岡県デザインアワードに入賞し販路もひろがり、皇室の方にもご購入頂きました。